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サムガ千秋楽前日

東京公演が終わってから1週間、リンゼイの「必ず誰かは傷付くのよ」という一言について考えていた。

必ず誰かは傷付く。
確かにそうだ。私がこうして何気無く生活している間にも、無意識に誰かを傷付けているかもしれない。事に恋愛に関しては最初から最後まで傷付かない人がいない恋愛なんて、きっと無い。男とリンゼイはそもそも不倫だったのだから、特にそうだ。
男はこう言った。「僕らのことで誰かが傷付くのが嫌だったんだ。誰も傷付けたくは無かった。」失笑モノだしまーた都合のいいことをwとは思うけど、きっとこれも本心なのだろう。男は誰かを傷付るつもりじゃない、というか傷付けているなんて考えもしていない。たまたま、リンゼイには夫というわかりやすいアイコンがいて(しかも自分の雇い主)思い至らざるを得なかっただけ。ボビーには開き直って本音が出たけれど(「それが誰かを傷付けるなんて知るか!」)
リンゼイは「必ず誰かは傷付くのよ」と言う時、諭すような言い方をする。『かわいい顔して誰かを傷付けるエキスパート』なんだから今更言っても無駄だろ、と私は思ってしまうのだが。それとも夫を酷く裏切った自分に向けているのだろうか。「痛みを感じるのは他人だから。」それはリンゼイの場合、夫だ。リンゼイは被害者であり、加害者でもある。誰かを傷付けた、という意味ではリンゼイも男と変わらない。夫だけでなく、もしかしたらリンゼイの教え子や周囲の人も信頼を裏切られたと思っているかもしれない。そう考えると、傷付いてない人なんかいない。誰も傷付けたくなかった、なんて、なんという絵空事。




結局、迷っていた大阪千秋楽にも行くことにした。
東京千秋楽でとてもよいお芝居が見られて、たくさん拍手して、晴れやかな笑顔でキャストと満員のお客さんに囲まれているみやけさんを見て、よかったねよかったねおめでとうお疲れ様ってしみじみしていたら、ああそうだ私いつも拍手しに行ってるんだった、って思い出した。ひとつ仕事を成し遂げたみやけさんをこうやって劇場の片隅から見て、勝手に感慨に浸るのが好きなのだ。私が行かなくたって大したことは無いけど、でも舞台をやれない期間が長くなったり、公演数が減ったり、そういうのはやっぱり悲しいからオタクは動く。やれることはやるのだ。
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