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夜中に犬に起こった奇妙な事件 感想まとめ

舞台

Twitter上で幸人天使botと化した私ですが、観劇4回目で最後となりました。

最後にぽろぽろと感じたこと気づいたことなど。
 
 
 
・入れ子式
1回目によくわからなかったお芝居の仕組みが、2回目で入れ子式だと理解出来てより楽しくなった。幸人に起こった事件を幸人が本に書いて、それを幸人の学校の学芸会でお芝居として上演する。「みんなが何かしらの役をやる」のがおもしろくて、幸人と両親と瑛子先生以外の出演者は学芸会の観客だったり隣人だったり通行人だったりダンサーだったり機械だったり幸人の感情の動きだったりする。言うなれば私たち観客も『学芸会の観客』としての役を演じている事になる。『幸人に起きた事件』『幸人の回想や空想』と『それを読む瑛子先生』と『学芸会で上演』している所が入り混じっているお芝居であり、それをわかったら所々で挟まれる学芸会要素の「牛乳をくれたのはお母さんだった!」「警官はもっと若くなくっちゃだめ!」や、実際にはそこにいるはずのない瑛子先生やお父さんが出てくることが、幸人が自分のために書いた本だからだと理解出来るようになる。
 
そもそもセットも学校の教室ひとつしかなくて、たくさん場面が転換するけれど椅子だったりハンガーラックと後ろの黒板、あとは出演者と照明と音響でほぼすべてを表現し、それがまたちゃんと階段だったりコンビニだったり電車だったりに見えるのがすごい。舞台って本当にたくさんの表現方法があるんだなと感心する。で、それがまた学芸会という設定で上手く成立しているのがすごい。

舞台上の観客(出演者)は幸人がベージュと出会うところで幸人を温かい眼で見ながら退場しており、幸人の本はそこで終わっているのではないかと思う。つまり、瑛子先生との希望に満ち溢れたラストシーンは後日談であり、劇場の観客である私たちしか見ることが出来ない、というのがなんとなく嬉しい。

「お芝居は嫌い。本当には存在しないものをまるで本当のように見せる。それはなにか嘘みたいなものだから」「作りものの中に本当を見つける人だっているのよ」
2幕冒頭の幸人と瑛子先生のこのやり取りが好きだった。お芝居を見る私たちへのメッセージ。
 
 
・「僕には全てのものが見える」

静岡駅から東京駅を経由して西葛西駅に着くまでの間、様々な文字や音、情報が溢れて幸人は度々駅に座り込んで動けなくなる。舞台を見た帰り道の駅や電車の中で意識的に見回してみると、確かにたくさんの案内板、広告、電車のアナウンス、駅構内のパン屋さんの声などが目に耳に飛び込んでくる。よく利用している駅なのに、全く気にしたことがなかった。普段私たちは情報を無意識のうちに取捨選択して、いかに必要の無いものは見ないようにしているか。幸人はそれが出来ないというか、むしろそれら全てを見ない人を「怠け者」としている。「僕には全てのものが見える。ほとんどの人は怠け者だ。みんなは全てのものを見ない。」怠けられない、怠け方を知らない幸人は全てを見てしまうが為に苦しむ。

 
・宇宙の話
幸人は宇宙が大好きだ。宇宙飛行士になるとも言っていた(そう言えば最後は科学者になるに変わっていたな)。幸人は瑛子先生に星を見るのが好きな理由をこう語っていた。
「僕、星を見るのが好き。生きている時辛いことがあっても、自分がとても小さな存在で誤差の範囲だって思えるから。小さすぎて計算する時気にしなくていいってこと」
この台詞なかなかパンチがあって、まず幸人辛いんだ…っていう。知的障害は無いし、ただ人の気持ちを上手く察することが出来ないだけで、はっきり伝えてもらえれば言っている事は理解出来る。正直な所この辺が健常者には難しい所で、幸人のようなアスペルガーは見た目は普通だからただの変わり者として敬遠される。さらにちょっと言動が普通と違うと感じたり障害があるとわかると、自分たちが言っていることが理解出来ないだろうとたかをくくったり、最初の警官(年長の方)のように明らかに子どもに話すような口調になる。そのことだって幸人はわかっているんじゃないか。何度かある幸人が宇宙の話や雨の話をするシーンは全て彼にとって嬉しくないシーンだった。警察署に連れて行かれる、お父さんが怒り混乱している、お父さんが出掛けて一人ぼっちになってしまう、佐久間のおじさんが怖い。幸人は空想の世界で宇宙に行っている時だけ自由になれる。ここに救いを求めているんだって思ったら、1幕の宇宙に行くシーンがとても美しいだけにとても悲しくなった。
 
 
・サリーとアン課題
1幕終盤、お母さんからの手紙を読み吐いてしまった幸人の元に外出していたお父さんが戻ってくるシーン。唐突にお父さんが汚れたパーカーを床に落とし階下に降りていく。その僅かな間に瑛子先生がマーブルチョコの筒をカチャカチャと振り、「幸人くん、この中に何が入ってると思う?」と問う。当然マーブルチョコ、と答える幸人に筒の中身は鉛筆だと明かし「お父さんに同じことを聞いたら、なんて答えると思う?」と再び問う。すると幸人は考える間も無く「鉛筆だよ」と答える。
なんで突然マーブルチョコ?と気になって調べたら、これが『サリーとアン課題』(正確にはこの種類は『スマーティー課題』)という自閉症児の心の発達をテストする有名な課題だった。すぐにお父さんが戻ってきてお話が進行するため幸人の答えを気にしていなかったけど、お父さんは最初の幸人と同じように中身を知らないのだから、この問いの正解は「マーブルチョコ」だ。つまり、お父さんの立場に立って推測することが出来ていない。健常児は5歳くらいでこの課題をクリアするらしいのだが、心理学用語で言う所の『心の理論』が未発達な幸人は15歳になってもクリアが出来ない。なぜこのシーンでこれが入ってきたのかは私にはわからなかった。幸人は他人の心を慮ることが難しく、お父さんの心境も理解出来ない、ただ『嘘』と捉えてしまうという事なのだろうか。
 
課題について詳しくはこちらで
 
 
・「私はお母さんじゃないからよ」
ラストシーンで幸人が狭く慣れないマンション暮らしについて説明し、瑛子先生の部屋に引っ越していいか問う。瑛子先生に断られてこう続く。「どうして?僕はうるさすぎて時々扱いにくいから?」「違う、そうじゃない。私はお母さんじゃないからよ。これはとっても大事なことなの。わかるわよね、幸人くん。」「…どうかな」 
幸人は絶対にわかっていたはず。なぜなら、家出をして東京に行く時にはこう言っていた。「瑛子先生の家には行けない。学校が無い時も僕のことを見ていなければならなくなるから。」「だって先生だから。友だちでも家族でもない。」きっとわかっていて駄々をこねたのだろうな、と思うとかわいくて仕方がない。先生は先生であって、家族ではない。学校以外の所で迷惑は掛けられないと幸人は理解してる(ついでに自分がうるさすぎて時々扱いにくくて注意深く見守らなければいけない存在だと自覚している…)。この「私はお母さんじゃないからよ」と、お父さんが言った「幸人、生きてくって大変だろ。本当のことを話すのはいつだってすごく辛い」がこのお芝居のキーとなる台詞だと感じた。先生は他人で、四六時中幸人の面倒を見る訳でも、幸人のこの先の人生に責任を負う訳でもない。家族だからこそ、時に怒り、ぶつかり、とんでもなく厄介な存在になる。家族って面倒ですなあ。
お父さんの方の台詞は、それはそうだけど辛くしたの自分だかんな!!って思いが捨て切れなかったw でもこの告白の前、雨の中を帰ってきたお父さんがケーキの箱を持っていたのなんだか切なかったなあ。
 
TV stationで剛くんがこの舞台についてこう言っていた。
「誰も悪くないのに、どうしてうまくいかないんだろう」と、モヤモヤすることもあるけど、それが生きるということだと思う。「生きていくのは大変で苦しくても、生きていかなきゃいけない」というメッセージを受け取ったお客さんが希望を感じて、勇気が湧いたり温かい気持ちになれるように、丁寧なお芝居で見せていきたいね。
剛くんが生きるということについて語ってる…!?というのはさておき、この『夜中に犬に起こった奇妙な事件』というお芝居の言いたいことが全部この剛くんの言葉に詰まっている。誰も悪くない、でも全員が苦しんでる。それでも、庇護の対象者であった幸人は東京まで1人で行くという冒険と数学検定準1級取得という成功体験を通じて自信を身に付け、「僕にはなんでも出来るってことじゃない?」とこの物語を締めくくる。
人生大変だけど頑張ろうぜ!ガムシャラに前向いて走っていこうぜ!みたいなポジティブゴリ押しではなく、そっと陽の光りが差すような希望が見えるのがとてもよかった。剛くんはこんな温かい作品も合うんだなあと思うと、また次どんな作品とどんな剛くんに会えるのか、楽しみ。
 
 
 
 
蛇足
セクゾン現場だとセクゾンも見たいJrも見たい、いわゆる『目が足りない』状態に陥るのだけど、今回初めてVの現場でその状態に陥った。カーテンコールでかわいく動く剛くん、数式をまくし立てる天才剛くん、かっこよく踊る死ぬほど男前剛くんをひと時も見逃したくないけど、舞台のいちばん上手のスタンドマイクで歌う小島聖高岡早紀の美女コンビが…!!!シルクハット被って楽しそうに盛り上げるヒジリコジマかわいすぎしんだ……ミステリアス美女高岡早紀も楽しそうでかわいすぎしんだ………誰かカーテンコールだけでも映像くれないか。