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平泉〜盛岡〜十和田 旅行記

盛岡に行く前に、藤原清衡が造った楽土である平泉に立ち寄った。

東京から一関駅まで新幹線で約2時間、そこから在来線で8分。案外アクセスがよい。
 
駅前でレンタサイクルを借り、秋晴れの下秋桜がそこかしこに咲く静かな街並みを走るのはとても気持ちがよかった。途中、無量光院跡では吾妻鏡を片手に歩く学者さんなどもいて、平安や鎌倉の世といまの時間はひと続きなのだなあと改めて思う。鎌倉時代の書物を読みながらその跡を巡れる(しかも金色堂は現存している!)のだから書物って本当に大切。
 
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義経最期の地と言われる高館義経堂から望む北上川
その後行った中尊寺は流石に一大観光地という様相だったけれど、この高館義経堂はあまり人がおらず眺めもよくてとてもよかった。
 
 
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平泉でどうしても見たかった、蝦夷の国と大和の境界線だった衣川。炎立つを読んでいる時には北上川くらいの大きな川を想像していたのに、実際はとても細く何気無い川で驚く。こんな細い川のこちら側と向こう側で大きく運命が異なるなんて。
 
中尊寺金色堂は勿論とんでもない迫力だったけど、讃衡蔵(宝物館)に展示されている清衡の棺とその中にあった枕や刀、泰衡の首桶(意外に高さが無かった…)に度肝を抜かれた。清衡の枕が、頭が当たっていた部分が凹んでるんすよ…なんというリアル。1000年前の人の頭の窪みを見るって体験そう無いよ…ミイラどーん!って出されるよりずっと生々しかった。これが想像の余地ってやつか。お話の中の登場人物だと思っていた人が本当に存在していたのだなあ。
 
その後東北本線で盛岡に移動。行きはすんなり電車が来たからなんとも思っていなかったけど、1時間に1本しかない…世界遺産だからもっと来るのかと思った、とか甘い甘い。在来線も新幹線もバスも1時間に1本程度だから、とにかく待つ。どうやって乗り継ぐか考えるのはさながらパズルのよう。普段は地下鉄が7分待ちでも「7分来ないとかふざけんなよ」とか思ってる都会人(私)マジ気が短い…
あとSuicaが使えないのが地味に面倒で、自販機で水買うのもバス乗るのも(バスに至っては最初に用意しておこうと思っても定額じゃないから値段がわからない!)小銭探すのめんど…と思ったけど、そもそもこんなに電子マネーが普及したのはここ5年くらいだろうに、たった数年で小銭すら出すのが面倒になるってこの先人間はどんどん手や足を使わなくなって退化していくのではなかろうか。そのうち頭でっかちで身体が細い宇宙人(イメージ)みたいになったりして。
 
 
 
盛岡から少し足を延ばして、十和田市現代美術館にも行って来た。
 
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『そらいろユートピア』という企画展をやっていて、『cafe de monk』という震災の被災地で被災者の話を聞く場所としてお坊さんが運営する移動カフェの写真や映像が展示されていた。前日まで炎立つを観ていたから、遺された者が生きる意味や辛さみたいなものを考えてしまった。生き残ったキヨヒラが母上や亡くなった皆に「本当にこれでよかったのか?」と問うても、母上は「逆にあなたに問います。本当にこれでよかったのでしょうか?」と答えを与えてはくれない。「これでよかったんだよ」と言ってくれれば楽なのに。でもそういうものなんだろう。生きる者も死んだ魂も迷ってる。そんなに簡単に答えなど出ないものなんだろう、きっと。
 
 
美術館自体は結構既視感というか、ぶっちゃけ金沢21世紀美術館と似た感じ…とか言ったら怒られるかな…。建物も似たようなテイストだし(まあこれは西沢立衛だから当たり前)、街全体として求められるような役割も似ているからそういう印象を受けるんだろう。でも郷土作家の作品が延々と続くよりはずっといい。
美術館がある市役所通りはそれなりに綺麗に整備されていて、美術館一帯だけは県外から来ました!みたいな若者がたくさんいるんだけど、その近くのメインストリート?である商店街がよく地方にあるようなシャッター街的なものが目立ったり、美術館にあんなにいる若者は全然いないし、なにか食べ物屋さん入りたいと思ってガイドマップ片手に歩くんだけど、やってるんだかやってないんだか外からじゃよくわからなくて入りづらい地方特有のアレ…結局ミュージアムカフェで味の薄いパスタを食べるっていう。いや、私がチキンなのが悪いんですけどね!バスで七戸十和田駅から市街を通って美術館前に降りると突然感が本当にすごくて、あそこだけ異空間みたいな感じ。商店街にもそれなりにコラボ展示みたいなのがあったりするんだけど全然目立たないし入りづらいし、あれちゃんと地域経済に恩恵与えてるのか謎…。私みたいなのが来るから与えていなくはないだろうけど、もっと出来るんじゃねーの?っていう気持ちが拭えなかった。でもこの機会が無ければ多分一生来られなかったと思うので、炎立つに感謝。
 
 
平泉でも、七戸十和田でも、刈入れ時になって風に揺れる黄金の稲穂がずっと続く風景がとても美しくて、またイエヒラを思い出した。「刈り入れ時、すなわち決戦の時。」この美しい風景を見て弟を討つ心を決めたキヨヒラはどんな気持ちだったのだろうか。